持論と屁理屈

「人が嫌いだから、接客業を選んだ」という友達こそ、就活を極めた人だった。

人嫌いなA君が接客業を選んだ

「A君の志望業界、接客業なんだって」

私は驚いた。そのA君という人は、あきらかに接客業を選ばないであろう人だったからである。

就活中、大学のサークル友達と「どこの業界を志望しているか」などで盛り上がっていたとき、共通の友達から聞いた話だ。そのA君という人は軽音サークルの同期であり、歌も楽器もとても上手い人だった。

そして、生粋のオタクでもあった。とはいえ、話をしていてコミュ力に問題があるとは思ったことはなかったし、コンビニのバイトでも活躍していたようなので、特技として「接客業」もこなせる人だと思う。

だが、就職の志望業界として、接客業を選ぶほどだとは思わなかった。明らかに、三次元の人間よりも、二次元のキャラクターの方が好きな人だったからである。

我々2010年入社組が就活に臨んだのは、リーマンショック後の氷河期世代だ。苦戦し、希望していない業界に進んだ人もいる。だが、彼は違ったのだ。自分で選んだのである。

てっきりA君が接客業を選んだ理由として、自分の好きなオタクショップで好きなものに囲まれて働きたいからかと思った。しかし、そうではなかった。

確かに、A君の詳しい得意分野のお店ではあったが、そこまでオタクグッズほど好きなものではなかったはず。では、「A君ならば、他の業界や会社も受かりそうなのに、なぜあえてその会社の接客業を選んだのだろう」と不思議に思った。

人間嫌いだから、接客業を選んだ

「人が嫌いだから、接客業にしたんだって」

共通の友達に「A君の志望業界、接客業なんだって」と言われて、ぽかーんとしていた私に見かねたのか、そのように補足された。

いやいや、全く意味がわからない。余計に頭には「?」で埋め尽くされた。なぜ人間が好きじゃない人が、接客業を自ら選ぶのだろう。

アルバイトならばまだわかる。しかし、新卒正社員採用の場合、ある程度長く働こうと考える人が多いはずだ。その中で接客業を選んだのだとしたら不思議である。

話を聞いていくと、A君は接客バイトでもそつなくこなしてきた上に頭も良かったので、店舗の一スタッフではなく、割とすぐに昇給昇格する可能性が高いらしい。そういう考えもあるようで、そこに関しては理解できる。

だが問題はそこではない。「人間嫌いだからこそ、接客業を選んだ」という点である。

接客業は、深い関係にならずに済むので好都合

A君の言い分としてはこうだ。

「店舗の接客業は、お客様に聞かれることも話すこともだいたい同じで、自らプライベートな話をする必要もしない。求められているサービスや知識を提供し、正解の対応をしていれば、良い店員だと思われる。毎日来る人もほぼいないし、深い関係にならずに済む。」

ということだった。

この考え方、言われてみればそうだなと。おそらくA君が人嫌いだというのは、むやみやたらとプライベート(特にオタク趣味)を詮索されたくない、人に話を合わせたくない、無理に自分の話をしたくないというところだろう。

接客業であれば、わざわざ自分の話をする必要もない。お客様もいきなり「あなたの趣味はなんですか?」だとか「昨日何していましたか?」なんて聞いてこないだろう。

お客様と話すときは「こんなものが欲しいんだけど、どれがオススメ?」などと聞かれたときくらいだろう。それに的確に答えられるのだとしたら問題ない。あとは「いらっしゃいませ」の声かけなどだ。

私は勝手に、人好きな人が接客業を選ぶものだと思い込んでいたのだ。そして、接客業をしている人嫌いな人は、渋々行なっていると勘違いしていたのである。

腑に落ちたと同時に、A君のような人が「業界研究や業種研究、自己分析をきちんとしている人」なのだと思えた。

「人が好きで、人に喜んでもらうのが好きだから接客業を選んだ」というのも悪くはない。よく聞く志望動機でもある。しかし、これは正解なのだろうかと考えさせられた。

人嫌いには「常連客ありきの接客業」は向かない

接客業とはいえ、常連客が発生するような飲食店や洋服屋、美容室、個人商店などであれば、この考えは通用しないかもしれない。

そういう店は常連客ありきであり、名物店主や店員もいる。商品・サービスだけではなく、その人に会いたいからその店を選んで行く人もいるだろう。長居するから話もすることになるのだ。

ただ、A君が選んだその会社は、全国展開している大手小売チェーンだった。移動も頻繁にあるし、店舗ごとの特色も特にない。そのため、この考え方がマッチしたのだろう。

悪質クレーマーが猛威を振るう小売りチェーン

「人と接することが大好きで、人に喜んでもらうののも生きがいなので接客業を選びました」

一見、満点の回答だ。もしそうなのだとしたら、人のために頑張れる素晴らしい人である。だが、こういう人ほど、精神を病んでしまいやすいとも言える。特に、日本の接客業においては危険だ。

今まで接客業に携わった人ならばわかると思うが、どこの店舗でも一定数の悪質クレーマーがいる。特にこういうクレーマーが出現するのは、長居するタイプの常連客ありきの店よりも、チェーン系の小売りや飲食店、スーパーやコンビニなどだ。

海外の場合、店員にイチャモンをつけ「タダにしろ」だとか「謝れ」だとか激昂したり、店員を殴る蹴るような悪質クレーマーが出てくると、オーナーが出てきて「出て行け!お前は客じゃない!二度と来るな」と追い返すパターンが多い。

オーナーとしては、そのような理不尽な人は客にもならない上に、他の優良なお客様を大事にするべきだと考えているからだ。また、店員を守ることで、長期的に良い環境で働いて欲しいと考えているからだろう。

だが、日本においてはやはりまだ「お客様は神様」という考えが根強く、理不尽なクレーマーに言いがかりをつけられ、土下座させられたという話も聞く。Twitterでも一時期そんな画像が回っていたのを覚えている。

全部が全部だとは言わないが、「出て行け!お前は客じゃない!二度と来るな」と出てきて追い払ってくれるような店長やオーナーはなかなかいない。

そこまで言える権限がないからかもしれないし、さらなる苦情になったら困るだとか、そのクレーマーが悪い噂を言いふらしたら困ると考えているからかもしれない。このようなことができるのは、個人商店だろう。小売チェーンでは難しいはずだ。

人好きは「悪質クレーマー」のせいで心を病みやすい

もし、「人と接することが大好きで、人に喜んでもらうののも生きがいなので接客業を選びました」というような人がこんな悪質クレーマーに出会ってしまった時、どう思うだろうか。

相手が悪質クレーマーであきらかに店員側に非がなかったとしても、人が好きすぎる人はあたふたし、「自分に悪いところがあったのではないか」とを責めてしまい、心から謝ってしまうかもしれない。

悪質クレーマーに暴言を吐かれ続け、殴られたり脅されたりする日々。にもかかわらず、上司は一切庇ってくれない。

それどころか「お前の態度が悪いから、お客様を怒らせたのではないか?お前が謝るなり弁償するなりしてどうにかしろ」などと追い討ちをかけて来る。

そんな日々が続くと、いつのまにか「自分は暴言を吐かれたり、殴られたりしても仕方がないダメな人間なのではないか」と思えてきて、精神がおかしくなってしまうだろう。

当初は「人と接することが大好きで、人に喜んでもらうののも生きがいなので接客業を選びました」とついた接客業なのに、人が怖くて仕方がなくなってしまうのだ。ただ笑顔の仮面を貼り付け、怯える日々を過ごすことになる。

もちろん全員がそうとは言わない。ただ、いい人すぎるとこのように病んでしまう可能性があるというのだ。悪質クレーマーは異常者だ。まともに取り合うことができないのである。そんな異常者にも真摯な対応を心がけようとしたならば、精神が狂ってしまうのも無理もない。

人嫌いは悪質クレーマーにもロボット対応

では、人嫌いの店員だったらどうだろうか。きっと悪質クレーマーに出会ったら冷静に判断できると思う。

「うわ・・・これが噂の悪質クレーマーね。まずは怒りをなだめるために一旦謝り続けておこう。」などと思いながら、心を込めたふりをした謝罪をし続けると思う。

そして、悪質クレーマーを自分が接客すべきお客様とも思わないので、適切な処理をすることを心がけるだろう。あたふたせず「店長を呼んで来るか・・・」とも思えるはずだ。

あきらかに相手に非がある状態であれば、「自分のせいだ」とも思わないので自分を責めることもない。

暴言を吐かれたり殴られたりすれば冷静に判断し、「まずは警察だな」とか「訴えても勝てそうだな」とも思えるだろう。

人が好きではないぶん、相手にこれといった深い思い入れもしない。心を無にして悪質クレーマーの発言をシャットアウトして、笑顔を貼り付けたロボットのような対応をできるのだ。

悪質クレーマーは身バレしない小売店で暴れる

悪質クレーマーほどではなくても、接客をしていると多少嫌な思いをすることがあるだろう。特にBtoCの業種だ。

たとえば「ABC株式会社の山田花子」と身バレしている人は、さほどおかしなことをしてこない。会社も自分の評判も悪くなるからだ。おかしなことをして訴えられたり、通報されてクビになるかもしれない。

だが、「何か商品を買うために、店に訪れた人」としてであれば、会社も名前も名乗る必要もない。聞かれても偽装できる。身バレもしないから自分は無敵に思えてしまい、悪質クレーマーにもなれてしまうのだろう。

悲しいことに、現在の日本には悪質クレーマーがそこら中にいる。撲滅することやオーナーが一蹴できる風潮が当たり前になれば良いのだが、なかなか難しい。

だからこそ今の日本においては、人嫌いの店員さんが小売・接客業で重宝されるのだ。

「人好き」にも色々ある

何度も出てきた「人と接することが大好きで、人に喜んでもらうののも生きがいなので接客業を選びました」というセリフ、具体的な内容がないということに、お気づきだろうか。

「人と接することが好き」と言っても、色々なパターンがある。むしろ一切人と接しない仕事の方が少ないので、わざわざ接客業を選ばなくても良いはずだ。

それに、毎回初対面の人に会って、今後一切会わないかもしれない人と接している可能性もあるのに、そのことさえも好きなのだろうか。

たとえ今後一切会わないであろう人で会っても、その人に気持ち良く商品を買ってもらい、「ありがとう。」と感謝され、満足してもらうのが好きというのならばあてはまるが、固定の人と長くて深い付き合いをするのが好きであれば当てはまらない。

また「人に喜んでもらうののも生きがい」というのもだが、接客業でなくても人を喜ばすことはできるし、極論言えば仕事でなくてもいい。好き勝手やった趣味だとしても、喜んでくれる人は喜んでくれる。

「人好き」ならばどんな仕事が合うのか?

人嫌いなのに、あえて接客業を選んだA君の言い分を改めて書くが、

「店舗の接客業は、お客様に聞かれることも話すこともだいたい同じで、自らプライベートな話をする必要もしない。求められているサービスや知識を提供し、正解の対応をしていれば、良い店員だと思われる。毎日来る人もほぼいないし、深い関係にならずに済む。」

ということだった。

つまり、「人嫌い」というA君は「人にプライベートを詮索されて、心の内を開示しあい、深い関係になること」が嫌だったわけだ。

逆を言えば、「人にプライベートを詮索されて、心の内を開示しあい、深い関係になること」が好きならば、人好きともいえるのではないか。人好きにも色々あるが、こういう人もいるだろう。

「人にプライベートを詮索されて、心の内を開示しあい、深い関係になること」は、長い付き合いをする仕事では良くある。営業なんかもそうだろう。

特に、ルート営業になれば、頻繁にお客様と会うようになるので、いつの間にか仲良くなっているケースも多い。もちろん人によって、プライベートを開示しない営業スタイルの人もいるだろうが、それなりには仲良くなるだろう。

もし、固定の人と深い付き合いをするのが好きということで「人好き」というのであれば、ルート営業があう可能性もある。

人嫌いは「システムエンジニア」が辛くなる可能性大

一方、人嫌いでSEを選び、「失敗した・・・」という人もいる。SEとはシステムエンジニアである。

この勘違いをする人は、就活後にで新卒入社した学生だけではなく、転職活動して異業種に飛び込んだ人でさえもいる。意外と外から分かりにくい業界だからだ。

SEの仕事をよく知らない人は、パソコンの前にずっと座り続け、人とも会話をせず、プログラミングし続けている仕事だと思っていることが多い。

だから、「SEになれば、人と会話せずに済むし、社内にいても人と極力関わらなくて済む」と勘違いする人がいるのだ。

しかし実際のSEの仕事は、クライアントからヒアリングして、システムを設計する仕事である。「こういうことをしたい」「こういうことに困っている」という話を聞いて、それを解決するシステムを作るのだ。

そのため、かなり人と接する必要があるし、マニュアル通りの会話では済まない。クライアントはSEではないので、専門用語は通じない。それに長期間関わるので、良好な人間関係を築いておかないと仕事もしづらい。

そのため、専門用語を極力使わず、一般人でも理解できるようにわかりやすく説明するというコミュニケーションスキルも問われるのだ。

また、人を管理する必要やスケジュール調整などもある。場合によっては人をせかしたりする必要もあるだろう。クライアントだけではなく、社内の調整も必要だ。そうなると、ある程度気を使った声がけができなければ、うまく立ち回れない。

SEこそ、人と密に接することが多く、コミュニケーション能力が問われる仕事とも言えるだろう。

固定観念にとらわれず、自己分析・仕事研究が必要

一口に「人好き」「人嫌い」といっても、どう言ったことが好きか嫌いなのかは異なる。

「私は人が好きだから、接客業が向いている」「僕は人が嫌いだから、SEが向いている」などと考えてしまうのは、あさはかだ。

例えば、「人に接することが好きだ」と考えるならば、なぜ好きなのか、どういう時が特に好きなのか考えた方が良い。

そして、「〇〇が向いている」と思ったとしても、本当にその〇〇は自分に向いているのか、自分の「人に接することが好きだ」という気持ちを体現できるのか、それでしか叶えることはできないのか一旦考えてみた方が良いだろう。

「人が嫌いだ」というのもそうだ。人と会うのが嫌いなのか、人にプライベートを詮索されるのが嫌なのか、人と深い仲になるのが嫌なのか、人それぞれだ。

「人と話したくない」と思って選んだ仕事なのに、他の仕事以上に話す仕事だったということもある。一方、例に挙げたA君のように、人嫌いからはかけ離れたイメージの小売チェーンの接客業が向いているケースもある。

私自身も、喰わず嫌いして分析不足だった

私も就活をしていた時、営業という仕事に偏見があり、絶対に向かないと信じていた。むしろ毛嫌いをしていた。

アルバイトでやってみた接客業はとにかく苦痛で合わず、人が来なければいいとさえ思っていた。マニュアル的かつスピードを要求される対応が苦手だからだ。それに私は1人でいるのが好きなので、さほど人が好きではない。動物のが好きだ。

こういう経緯がある私は、もちろん接客業にはつかなかったが、似たように人と接する営業は苦手だと思っていたのだ。

また、営業というのは、人に自社商品を買ってくれと人にお願いしまくって売る仕事だと思っていたのだ。そしてどこの会社にも異常なノルマがあるのだと思っていた。

だが、周りには営業に向いていると言われ、結局、営業職に転職した。2・3社目は営業でそれなりの成績も出せたので客観的に言っても向いていたと思う。

それに、前職も今も営業ではないとはいえ、広告や文章でセールスするセールスコピーライターとして活動している。

よくよく考えてみたら、アルバイトでも常連さん相手の接客は楽しかったし、物を売るのは得意だった。塾講師のように同じ子に接して説明したり、自由に話すのは向いていたと思う。だから、営業には向いていたのだ。

はじめは合わないとか毛嫌いしていた仕事でも、調べてみたら意外に興味を持てる内容で、気になったからとりあえずやってみたところ、意外にあっていたというケースがまさにこれ。私自身がそうなのだ。

固定観念にとらわれて挑戦しないのはもったいない

  • 固定観念にとらわれていて喰わず嫌いしていた
  • 分析不足で内容を詳しく知らなかった
  • 自分はこんな人間だと決めつけていた

こういうことは、仕事以外にも言えることだろう。

「私はこんな性格だから、これしか選べない」と決めつけているだけで、他の方法が見えていないケースもある。それに、他の方法の方がむしろあっているケースもある。

ある1つの聞いた話を鵜呑みにするのは危険だ。ただの噂話や迷信の可能性もある。だからこそ、本当にそうなのかと探れるところまでは探った方が安心だ。

何かを決める時は、賛成意見も反対意見もどちらも聞いた方が冷静な判断ができる。もちろん、全てを受け入れる必要もない。

自分にあうかどうか、メリット・デメリットも聞いた上で、それでも選ぶのかということが重要だ。

そして「自分にあうかどうか」というのを判断するためには、自分のことも相手のこともわかっていないとできない。だからこそ、自分にしろ相手にしろ掘り下げていき、見極める必要があるのだ。

試さないと何も生まれない

意外な人が、意外な分野で成功することがある。「え・・・あの人があの分野で?」みたいなケースだ。

本人にしても「まさか自分が・・・」と思っていたとしても、もしその人が試していなかったらその結果は存在しない。「自分には絶対に向いていないから」と決めつけて試していなかったら、成功以前の問題だ。その人はその分野に存在しないのだから。

色々と自分や相手、その分野を調べた上で「嫌だ」と思うことならば、挑戦しなくても良いだろう。だが、もし気になっていてやりたいことなのだとしたら、絶対に挑戦した方がいい。

「あなたには向いていないよ」は無視でOK

それに「あなたには向いていないよ」と言ってくるのは、その人が固定観念にとらわれているせいだろう。その人が知っているデータや今までの経験上で話している。

相手はあなたの気持ち、性格、傾向など、心の奥底にあることはわかっていないはずだ。他人の気持ちはいくら寄り添っても、研究してもわからない。なんとなく想像できるくらいだ。いくら家族でも恋人でも友達でも、相手には自分の真の思いや傾向など、わかるはずがない。

だからこそ、何かをしたいと思った時「あなたには向いていないよ」と言われたら、「あなたはそう思うんだね。心配してくれてありがとう」といって流してしまって良い。

心配もしくは邪魔をしたいのだろう。もしかすると本当に向いていない可能性もあるが、決めつけてやらないのはもったいない。それに、今までの方法通りにやる必要もない。

たとえ「向いていない」と言われたことでも、先人のやり方が自分に向いていないだけかもしれない。やり方に変えてしまうこともできる。

曖昧な向き・不向きより、自分の好み・思いを優先

さらにいえば、向き不向きの基準そのものは、人によって異なる。例えば、営業で1件も契約が取れなくても「お客様が喜んでくれて楽しいから営業という仕事が好きだ」と思い「私は営業に向いている」と思う人もいる。

客観的にみたら「契約がとれない=営業に不向き」だと思うかもしれないが、その人にとっての基準はそこではない。「お客様が喜んでいて楽しく、営業という仕事を好んでいる」かどうかだ。

向き・不向きでさえ、基準次第で見方が大きく変わり、誰にもわからないのだから、結局それがしたいか、それを好んでいるかで決めた方が楽しいだろう。

試さないことには何もわからないのだから、気になっていてやってみたいと思うことならば、なんでも挑戦した方がいいはずだ。

私もやっと最近になってそのように思えるようになったので、何でも気になることは決めつけずに試すようにしている。気になることを試すのは面白い。向き不向きはそのうちわかるとして、まずは楽しむのも良いだろう。

あわせて読みたい
自分の強み(才能)がわかる「ストレングスファインダー」は、追加課金なしで4つのレポートを何度でも見られる「ストレングス・ファインダー」とは? 『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす』という書籍をご存知だろう...
あわせて読みたい
「悪質クレーム」対応に便利なセリフとは?流通業界で働く人の70%が悪質クレームを受けた経験あり 11月9日、NHKのニュースで取り上げられた内容によると、スーパーマーケットや...

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitterで
ABOUT ME
アニータ江口
広告制作・記事執筆し、反応率を45.5倍にした人。趣味は街歩き食べ歩き。特技は屁理屈。好きなものは地歴・動物・昭和レトロ。2018年5月、旧ブログから当サイトに引っ越し。うまいもの食べてうまいこと言いたい。