楽な生き方・とらえ方

『コンプレックス』や『怒り』を原動力にする人は、他人に支配され続ける。

「コンプレックスをバネに頑張るヤツは短命」

http://href=”https://lineblog.me/nishino/archives/9304895.html

キングコング西野亮廣氏のブログ記事を読んで、まさにその通りだと感じた。

以下、一部引用。

“人は誰しもコンプレックスがあって、それがバネになるから、コンプレックスは往々にしてプラスに作用するのだけれど、しかしコンプレックス一本槍では長持ちはしない。(西野調べ)

コンプレックスをバネに頑張って結果を出せば出すほど、コンプレックスが解消されてしまうからだ。尾崎豊が大人になって手詰まりになったような。まわりの人間を見ていると、動機がコンプレックスだけだと、20代を乗り切るのがやっと。”

「コンプレックスをバネに頑張るヤツは短命」とする理由として、「コンプレックスをバネにして頑張って結果を出すほどコンプレックスが解消されてしまうからだ」と言う。

つまり、動機がコンプレックスだと、『コンプレックスの解消=動機の解消』だ。20代にして早々とそれをやる意欲や意味がなくなってしまうと言うことだ。

西野氏やその周囲の人たちは、コンプレックスを動機としていない。当初はもしかするとそうだったかもしれないが、少なくとも今は違うだろう。

「こうしたら良くなりそうだな」「これもやったら面白そうだからやってみよう」などという、自分の考えがあり、前向きな気持ちがあるからこそ、どんどん突き進んでいけるのだと思う。

怒りが消えたら無気力になってしまう人

身近では、逆の人を多く見てきた。

コンプレックスや怒りをバネにした結果、客観的に見たら満たされている人なのに自滅や迷走していく人、いつも辛そうで病んでしまう人、アルコールに溺れてしまう人、常に人を攻撃し続けている人、無気力になってしまった人、不倫を繰り返す人などだ。

ハングリー精神があることは悪いことではない。あいつには負けない、見返してやるなどと思い、懸命に物事に取り組む。スポーツ選手にも多いだろう。いじめられた経験があり、「強くなりたい」という思いからプロボクサーになった人もいる。

もっと軽いもので言えば、歌手をやっているのだが、「下手くそ」と陰口を叩かれたとか、テニスをやっていて「まだまだだね」なんて年下に言われたりして、「何クソ!今に見てろよ!!!」という気持ちもわからないでもない。

怒りは、スタートダッシュのきっかけにはとても良い燃料だ。『コンプレックス』や『怒り』は強い原動力になる。

しかし、いざそのイラついた相手に勝ってしまったり、ある程度成功を収めてしまうと、目的がなくなり、ぷつんと糸が切れるように抜け殻状態になってしまう。

何かを取りに行くことが目的の場合には向いている。学校や資格試験などの『合格』や好きな人を恋人にするなど。ただ得ることが目的になるのでその後が続かない。

何のために頑張るのか?

資格試験のように合格すれば終了のようなものならばそれで良いだろう。ただし、得てからがスタートのようなものであると、飽きてしまったり、燃え尽き症候群のようになる。

偏差値30の人が偏差値70の学校を目指すと言ったところ、「合格するわけがない」と言われてがむしゃらに勉強し合格するようなドラゴン桜のような話もたまにある。

しかし、怒りを原動力として合格を目的にしていると、いざ合格しても意味を見出せずに無気力になり、やめてしまう人も多い。

自分が何かしたいことがあって行動したわけではないからだ。そして、合格という目的を達成してしまったので頑張る意味もない。

ただ「バカにしたアイツを見返してやる」とだけ思い、必死に頑張っていたのであれば、突然「自分何やってるんだろう・・・」となる可能性もある。あくまで他者に何か言われたから頑張ったことなのでそもそも何かしたいということもない。

私生活を我慢し、家庭を省みず、「辛い辛い」と言いながらがむしゃらに一切休むことなくサラリーマン生活を送ってきて、いざ定年退職したら何をして良いのかわからなくなり、突然ボケてしまう人と同じだ。

言われるままにどんなに辛いことでもやり続けてきたことはすごいことだろう。しかし、自分のやりたいことではなかった。だから、いざ自由になってしまうと抜け殻のようになってしまうのである。

『怒り』だけを原動力にすると『怒り』の原因が消滅した瞬間に今まで頑張ってきた「それ」を行う目的がなくなってしまうのだ。

外に『原動力』をおく限り、外に振り回されるだけ

最近は距離を置いている人の話だが、仕事ではすごく成功しているように見え、仕事では尊敬できる部分もある人なのだが、コンプレックスの塊で怒りの化身であり、「あいつはダメだ」と周りを貶している人がいた。

せっかく今まで頑張ってきてすでに成功しているのだから幸せに過ごせば良いものの、その怒りを手放せない。コンプレックスがあるために、自分の地位を脅かすのではいかと怖くて仕方がない。だから攻撃するしかないのだ。

きっと当初は、コンプレックスがあり、

  • 「バカにしたあいつを見返してやるぞ」
  • 「強くて怖い人になるぞ」
  • 「金持ちになってみせる」
  • 「絶対にモテるんだ」

などという思いで、頑張ってきたのかもしれない。

しかし、いざそれらが達成して幸せになっているのかと言ったらそうではない。客観的に見たら達成しているように見えるが、満足しないのである。

原動力が『コンプレックス』による『怒り』しかない人は、常に怒りを持っていないと精神的に死んでしまう。そのため、常に怒りの対象を探し続けるので、いつまで経っても幸せにはなれない。

「現状に満足しない」ということは素晴らしい考えだ。改善案を出してはテストし、幸せな方向に進めていくのは良いことだ。

だが、それがもし、原動力にするための『怒り』探しならばおかしな話である。外に『原動力』をおく限りはいつまで経っても外に振り回されるだけで、幸せになることはできない。

原動力が『楽しみ』に変わった世界王者

かつていじめられていたことがきっかけでボクシングを始めた、元世界王者の内藤選手の言葉を読むと、なぜ彼が世界王者になることができ、世界王者になった後も幸せそうなのかがわかる。

http://www.asahi.com/special/ijime/TKY201207130504.html

“高校を出ても、「いじめられて、ボンビーで、俺は生まれつき不幸だ」と、ずっと思っていた。上京して就職しても、帰省したらいじめっ子に会うんじゃないかって怖かった。強くなりたかった。不良のような、見せかけの強さだけでもいいからほしかった。暴走族に誘われたら、入っていたよ、たぶん。

そんなとき、たまたま下宿先の近くにボクシングジムがあったんだ。通えばケンカに強くなれる。強くなれなくても、「ジムに行ってるんだ」と言えば、いじめっ子をびびらせられるって思ったね。

入ってみたらさ……楽しかったなあ。周りも一生懸命で、俺もやればやるほど自信がついて、どんどんのめり込んだ。自分を守るために始めたのに、いつの間にかいじめのことなんてどうでもよくなっていた。不思議なもんだ。

ボクシングの練習がつらいときは「いじめに比べたら大したことない」って考え、マイナスの体験をプラスに変えてきた。でもね、「いじめられてよかった」なんて思ったことは、ただの一度もないぜ。いまだにつらい思い出なんだ。

「いじめられたらやり返せ」っていう大人もいる。でも、やり返したら、その10倍、20倍で仕返しされるんだよな。わかるよ。”

ボクシングを始めた頃は、

  • 見せかけの強さだけでもほしかった
  • (ボクシングをジムに)通えばケンカに強くなれる
  • 「ジムに行っているんだ」と言えばいじめっ子をビビらせられると思った

という思いだったが、始めたらボクシングそのものが楽しくなり、いじめのことなんてどうでも良くなったのだろう。いじめというものはヘビーなものであり、なかなか忘れることはできない上によかったなんて思えないだろう。

だが、その苦しみだけを背負い、恨み辛みを原動力にして生き続けることはせず、楽しみを見つけ、自信を取り戻したことが彼を幸せにしたように見える。成功して幸せになれたのは、原動力が『怒り』ではなく、『楽しみ』に変わったのが大きいだろう。

『怒り』に任した原動力は長続きしない

誰にでもコンプレックスやトラウマ、辛い思い出もあるだろう。「何クソ!」と感じる怒りは強い原動力にはなる。しかし、その『怒り』に任した原動力は長続きしない。『怒り』の原因が消えた瞬間に行動する意欲が消える。精神的に短命だ。

もし、行動し続けようとするならば、死ぬまでずっと『怒り』を探しに行かなければならない。常に怒り続けるので疲れ果ててしまうだろう。

たとえ宿敵を倒し、目標達成できたとしても、幸せにはなれないだろう。これはこれで、身体的に短命になる。「コンプレックスをバネに頑張るヤツは短命」というのはその意欲だけではなく、当人の心身ともに短命になるのだ。

周りに何かされた、何か言われたから周りがこうだから、〇〇するのではなく、自分がどうしたいから〇〇するというのが重要だと言える。同じ行動であっても原動力によって未来が変わってくるだろう。

怒りやコンプレックスが悪いとは言わない。きっかけにはちょうどいい。時には、アイディアの助けや気づきにもなる。だが、『怒り』『コンプレックス』だけに振り回されて生きるのは、短命だと言える。

他人に支配され続けたいのか?

ふとTOKIOが歌う『宙船』を思い出した。

“その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな”

こんな歌詞がある。さすが中島みゆきの歌詞だ。

他者に人生のオールを取られていては、進むこともできないだろう。コンプレックスや怒りを植え付けた張本人は、そんな酷いことをしたとは思っていないし、大概忘れている。

だからそんな奴らのために恨み辛みを持ち続け、相手のことを忘れることなく、苦しい人生を送り続けるのは勿体無い。

『コンプレックス』や『怒り』を原動力にして生きていくということは、他人、しかも好きでもない奴に支配され続けていくようなものだ。

だからこそ、自分が何をしたいのか何が楽しいのかを見つけ、さらに良いものを生み出し、自分も周りも幸せにしていく方が断然良いだろう。

『コンプレックス』や『怒り』だけで生きようとするのは、人生ハードモードすぎる。

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ABOUT ME
アニータ江口
広告制作・記事執筆し、反応率を45.5倍にした人。趣味は街歩き・食べ歩き。好きなものは地歴・動物・昭和レトロ。好きな言葉はコスパ。特技は屁理屈をこねること。2018年5月、旧ブログから当サイトに引っ越し。うまいもの食べてうまいこと言いたい。