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有名な「性格診断テスト」ならば当たるのか?
『ビリギャル』坪田先生の『人間は9タイプ』テスト
『人間は9タイプ』という書籍をご存知だろうか?あの有名な『ビリギャル』(学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話)の著者が書いた本である。
私は『人間は9タイプ』を読んでいないので、公式の紹介文をそのまま貼るが、“書籍では、各タイプの「長所や弱点」「嫌がること」「向き・不向き」などの他、「自分の取扱説明書」、各タイプが「部下の場合」「上司の場合」「取引先の場合」「仕事仲間(同性・異性)の場合」などの傾向と対策も解説。それぞれのタイプの人と楽しく円滑に仕事を進める方法がわかります。”とのこと。
その書籍『人間は9タイプ』に掲載されている「9タイプ診断テスト」を受けられるアプリがあるという。書籍同様にリリースされたのは2016年のようだが、どうやら再ブームが来ているかもしれない。少なくとも私の周囲では流行っているのだ。
簡易版は36問、高精度版は90問の質問に直感で答えることで、「完璧主義者」「献身家」「達成者」「芸術家」「研究者」「堅実家」「楽天家」「統率者」「調停者」のどのタイプに当てはまるか判定してくれるという。
「9タイプ診断テスト」をしたい方はこちら
→ http://apps.amwbooks.asciimw.jp/biz9type/
ということで、私もやってみたところ、
というような結果が出た。ちなみに3回テストし、3回とも「研究者」になった。こういうところが「研究者」なのかもしれない。
なお、「研究者」の素質が13、次点の「楽天家」は12。他の素質は1桁で、「完璧主義者」と「堅実家」はマイナス。「献身家」も1なので誇れる数値ではない。
もし、私が理系に進んでいたら危険人物になりかねなかっただろう。楽天的な研究者だなんて、マッドサイエンティストになっていたかもしれない。数学ができなくて本当に良かった。
では、当たっているかと聞かれたら、当たっているような気もする。だが、違うんじゃない?と言われたらそんなような気もしてしまう。
『人間は9タイプ』テスト=「エニアグラム診断」簡易版
どうやらこの『人間は9タイプ』テストは、エニアグラム診断にかなり近いと聞いた。
確かに言われてみれば、エニアグラム診断も性格を9つのタイプに分けており、その中でどのタイプの傾向が強いか診断する。9タイプの内容も全く同じだ。
質問も90問なのでかなり似ている。どちらかと言えば、エニアグラム診断の方が詳しくわかるので、『人間は9タイプ』テストは『エニアグラム診断』の簡易版とも言えよう。
実際、Amazonで「エニアグラム」と検索してみたところ、『人間は9タイプ』の書籍もヒットするため、坪田先生もこれを参考にしているはずだ。
「エニアグラム診断」をしたい方はこちら
→ https://www.enneagram.ne.jp/about/diagnosis/dns01
私もエニアグラム診断を以前にやったことがある。では、同じような「研究者」タイプになったかというと違う。「研究者」タイプの5ではなく、「達成者」タイプの3だったのだ。
なお、「9タイプ診断」で「達成者」の数値はいくつだったのかというと、4だ。「研究者」タイプの数値が13で、「楽天家」タイプのs数値が12に対して3分の1以下。多い順を数えるならば、後ろから数えた方が早い。こんなに違う結果が出たのである。
このことから、「もしかして、その時の自分の気分や自信、環境の影響もあるのでは・・・」と思ってしまったのである。
診断テスト自体は否定しない。特に、「エニアグラム診断」や「人間は9タイプ」はきちんと心理学や統計学、データに基づいて作られたものだ。
「ストレングス・ファインダー」も診断テスト形式
私が以前やった、自分の強みを見つける「ストレングス・ファインダー」も同じだろう。
これもまた、きちんとした統計に基づいている。(「ストレングス・ファインダー」テストの仕方は上記記事に掲載。)
なお、私の強み5つは上から順に、
- 着想
- 個別化
- 最上志向
- 戦略性
- 社交性
だった。性格診断とはまた違い、強みを見つけるものなのだが、9タイプ診断で出た「研究者」やエニアグラム診断で出た「達成者」を踏まえてみると、そんなような気がしないでもない気がする。
34個の強みのうち、強みが多い順位がわかる。どれかしかないというわけではなく、順位を決めているだけなので、これもまたあくまで「どういう傾向が強いか」調べるものであり、絶対ではない。上位5つがこれだったということだ。
「ストレングス・ファインダー」は、177問という膨大な量に答えるのだが、結局のところ、答えているのが自分である限り、自己評価でしかないのだ。
「性格診断テスト」が当たるようで当たらない理由
自己評価に影響される質問は信用しきれない
突然ではあるが、あなたに1つ質問したい。
Q.1「あなたは料理が得意ですか?」
- (A):すごく当てはまる
- (B):当てはまる
- (C):どちらでもない
- (D):当てはまらない
答えられただろうか。
では、もう1つ質問したい。
Q.2「あなたは現5つ星レストランのシェフですか?」
- (A):すごく当てはまる
- (B):当てはまる
- (C):どちらでもない
- (D):当てはまらない
お気づきかもしれないが、Q.1「あなたは料理が得意ですか?」とような聞き方をすると、《主観・自信・比較対象・今の環境・気分》などの自己評価が大きく影響する。
自信があるか、何と比較しているのかによって、同レベル同士でも「はい」「いいえ」が分かれるし、同じ人物であっても環境が変われば「はい」から「いいえ」、「いいえ」から「はい」に変わってしまう。
例:料理上手な高校生が、調理師専門学校に進学した場合
例えば、料理上手な高校生がいたとする。周囲から褒められ、それなりに自分でも「料理は得意だ」と自負しているとしよう。そんな時に「あなたは料理が得意ですか?」と聞いたら、「すごく当てはまる」か「当てはまる」と答えるだろう。
では、その料理上手な高校生は、調理師専門学校に進学したとしよう。上には上がいることを改めて思い知り、自身をやや無くしてしまったとしよう。
そこでまた「あなたは料理が得意ですか?」と聞いてみたら、他の天才的な学生と自分を比べて「どちらでもない」「当てはまらない」と答えるかもしれない。たとえ、以前の自分よりも「料理が得意」になっていたとしてもだ。
例:異様に謙虚な5つ星レストランのシェフの場合
また別の例を挙げてみよう。5つ星のレストランのシェフでありながら、物凄く謙虚な人がいたとする。謙虚なのかもしれないし、本当に自信がなく、だからこそ努力しているのかもしれない。
そんな人に「あなたは料理が得意ですか?」と聞いたとしよう。客観的に見たら、明らかに「料理が得意」な人だ。だが、もしかすると「自分はまだまだだ」と感じ、「どちらでもない」「当てはまらない」と答える可能性だってあるのだ。
このように、主観が大きく反映されるような「あなたは料理が得意ですか?」というような質問をすると、同レベル同士・同一人物であっても、「はい」「いいえ」の答えにばらつきが出るのだ。
事実を聞けば答えは1つ
一方、Q.2「現5つ星レストランのシェフか?」という質問にすれば、主観に左右されない。事実でしかないので、答えにばらつきがなくなる。
- (A):すごく当てはまる
- (B):当てはまる
- (C):どちらでもない
- (D):当てはまらない
とあるが、4択もいらないだろう。「はい」「いいえ」のどちらかだ。
「あなたは料理が得意ですか?」に対し、得意だと言った人が全員「現5つ星レストランのシェフ」とは限らない。逆に「現5つ星レストランのシェフ」でありながら、「あなたは料理が得意ですか?」と言う質問に「得意ではない」と答える人もいるかもしれない。このように、質問によって矛盾が生じるのである。
もし、全ての人の傾向を平等にピタリと当てたいのであれば、考えるまでもない「はい」か「いいえ」で即答できる事実を質問するしかない。
謙虚な人こそ「性格診断テスト」に注意
何度も言うが、性格診断テストそのものを否定する気はない。ただ、過信しすぎは危険だと言うことだ。謙虚な人であればあるほど、信じすぎるのは良くない。
褒めてもらえる環境にいなかった人や、罵倒され続ける環境にいた人は特に気をつけた方が良い。むしろ、性格診断テストはやらない方が良いかもしれない。自分を異常に過小評価しがちであり、それを悪化させてしまう可能性があるからだ。
誰だって「お前は料理が下手だな」と罵倒され続けていたら、「私は料理が得意だ」という精神を保てないだろうし、「私は料理は下手なのかな」から「私は料理は下手なんだ」と言う確信に変わってしまうだろう。その状態で、性格診断テストを受けても、正しい結果が出るはずがない。
謙虚な人は「〇〇が得意ですか?」と聞かれると、客観的に見れば得意なことであっても「自分なんてまだまだだ」「得意とは言えない」と言うだろう。
客観的に明らかに得意なものであってもだ。そのような謙虚な人が、「はい」「いいえ」で答えられないタイプの性格診断テストを受けると、「得意なものが何もない人」になってしまう。
「謙虚な人」「自己アピールをしたがらない人」などと表示されて、そこに関してだけは当たっているかもしれない。だが、客観的に見ると、正しい結果は出ないだろう。
にもかかわらず、そのような結果を見ると、謙虚な方々は「やっぱりな・・・」となる。自己評価の確認をしているだけだからだ。「特出するものが何もない」と考えている人が、そのように答え、「特出するものがない」と出るのだから、本人からしたら当たっているのだ。
性格診断で「特出するものはない」という辛辣な回答は少ないと思う。とはいえ、全ての質問に「得意ではありません」と答えていれば、強みも得意なものも際立たないので「バランスが取れた人です」といった結果が出てしまう。それが悪いとは言わないが、客観的に見たら正しいとは言えない。
また、「あなたは明るい人ですか?」といった質問で、「当てはまらない=暗い」と答えても、他人からの評価では異なることもあるだろう。このような場合でも、ばらつきがある。
実際、私の夫は謙虚なタイプなのだが、診断テストをしてもらうと全く当たっていない。私から見ると「〇〇は得意だよな」と思う分野でもそこも全く特出していない。
本人が自認している「神経質」というような項目ばかりが目立ち、「細かい点に気づける人です」だとか「計算が得意でしょう」だとか、大体イメージできるような回答しか出てこないのだ。
「得意・苦手」も「好き・嫌い」も主観
また、さほど「好き嫌い」がはっきりしていない人は、明確な結果が出にくい。「好きとは言い切れないかな」「嫌いとは言い切れないかな」という判断で答えているとそうなるのだろう。
「得意なのか・苦手なのか」と同じように、「好きなのか・嫌いなのか」も主観だ。
例えば、半年に1回ディズニーシーに行く「ディズニーシーが好き」だと言っている人に、「ディズニーシーは好きですか?」と聞いたとしよう。きっと普段であれば「好きだ」と答えるはずだ。
だが、「年パスも持っていないし、半年に1回しか言ってないのに好きって言えるの?」などと熱狂的な厄介なファンに揶揄された後に、「ディズニーシーは好きですか?」と聞いたとしたら、「好きだ」と答えないかもしれない。
「好きだけど、年パス持って毎月通っているいるわけでもないから、そう言う人と比べたら、大好きとは言い切れないかなぁ」という気分になり、自分の「好き」と言う気持ちに揺れが生じているかもしれないからだ。
そうなると、本来は「かなり好き」だと思っていたのに、「まぁまぁ好き」「普通」くらいな回答をしてしまったりする。
この「〇〇は好きですか?」という質問も主観に影響される質問であり、いつ答えるのか、何と誰と比べるのかによって変わってくる。
その人がディズニーシーで大はしゃぎしている時であれば、揶揄してきた嫌な相手のことなんて忘れ、「ディズニーシー大好き!」と答えることだろう。
私の話になるが、自信がある点とない点、好き嫌いがはっきりしている。だから、ものすごく明確な診断結果が出てくる。
「9タイプ診断」でも、数値にマイナスが表示されたり、極端に大きい数値「13」が表示されたが、ここまで両極端な結果だった人は今のところ私以外見ていない。
- (A):すごく当てはまる
- (D):当てはまらない
といった両極端の回答ばかりしていると、このような結果になるのだろう。おそらく好き嫌いが明確ではなく、謙虚な人がこのテストを受けたとしたら、数値は全て「3」あたりになる気もする。
私は好き嫌いが激しいし、さほど謙虚な人ではない。それでもこの結果を見て「やっぱりな・・・」という気持ちにもなる。あくまでこれは、私が自分に感じている印象「自己評価」を確認しているだけだからだ。
それに、今私が書いた「私は好き嫌いが激しいし、さほど謙虚な人ではない。」というのも、どの環境で、誰と比べるかによって、変わってくるかもしれない。これも、現段階の自己評価でしかない。
「私が!私が!」と人を蹴落としてまでも自己アピールがすごすぎる人たちの中で過ごしていれば、「自分は謙虚だ」と思うことだろう。
また、食べ物であれば好き嫌いがあまりないので、比較対象を「食べ物」にすれば、好き嫌いが少ない人になる。このように同一人物であっても変わってくるのだ。
今「自分が自分をどう思っているか」の確認テスト
同じテストのはずの「エニグラム診断」と「9タイプ診断」の結果が違ったと言ったが、あれも環境や気持ちの変化によるものだろう。気分屋ではなく、冷静な人であれば変わらないかもしれない。
こういう気分によるものもあるのだから、性格診断テストを受けるときは、「いつもの自分」の状態であり、冷静で気分の波が激しくない時に受けた方が良いだろう。でなければ、正しい結果が出ない。
「9タイプ診断」を先ほどした私は、一人でコツコツ気になることだけを調べたり、取り組みたい気分だった。そして、静かな環境にいたい。だから「研究者」タイプになったのだろう。
だが、以前に「エニアグラム診断」をした時は、熱意を持ち、プロジェクトの成功までメンバーを率いて頑張っていた時だったような気もする。だから「達成者」になったのかもしれない。
結局、性格診断テストは「今、自分が自分をどう思っているか」の確認でしかない。結果は、当たっているようで当たっていない。正直、どういうのが当たりなのかわからないのだ。
他人に「あなたは料理が得意ですね」と言われても、自分が「得意だ」と思わなければ、「得意」という回答にはならない。また一方で、他人にそう言われたという事実から「自分は得意なんだ」と判断し、「得意」だと答えるかもしれない。
他人に何をどう言われても、本人の受け取り方次第で「得意」にも「苦手」にも変わるのだ。
「性格診断テストは当たるようで当たらない」のか?
「性格診断テストは当たるようで当たらない」と言ったが、「性格診断テストは“主観”では当たるようで、“客観”では当たらない」と言った方が正確だろう。
結局、「当たっている・当たっていない」を判断するのは自分であり、他人が「◯◯さんの結果、すごく当たってるね!」と言ってきたとしても、それもまたその人の主観だ。
こうなってくると、もはや哲学的な話になってしまい、「真の客観とはなんぞや」ということになってしまう。
性格診断テストは「今、自分が自分をどう思っているか」を確認するもの。そして、「あなたと同じ回答した人はこんな傾向がありますよ。だからあなたも同じ傾向があるかも知れませんよ」と可能性をデータで教えてくれるもの。
だからこそ、性格診断テストはを鵜呑みにすることなく、『今、自分が自分をどう思っているか』『自分と似た回答をした人はどんな傾向があるか』の確認ツールだとふまえ、活かすくらいが適度な使い方と言えるだろう。
最終的に「自分はどんな性格なのか」を決めるのは自己評価であり、自分である。