持論と屁理屈

定年後、友達0人「終わった人」の孤独はそんなに問題なのか?


高齢者の4人に1人に友達がいない

友達ゼロ人!「妻依存オジサン」の厳しい余生 人は年を取るほど友人を作りにくくなる という記事を東洋経済オンラインで読んだ。

友達ゼロ人!「妻依存オジサン」の厳しい余生
https://toyokeizai.net/articles/-/224301

どうやら、日本の高齢者の4人に1人は友達がいないらしい。家族以外の繋がりがないと健康に影響が出たり、幸福度が下がるとか言われている。

また、孤独を理由に、アルコールやタバコの依存症になりやすいというデータも記載されていたが、これらは世界共通の傾向とのことなのだ。

特にこの傾向は、日本の中高年男性に顕著で、妻以外に話す機会がない妻依存が進んでいるらしい。日本においては、長年、家は妻が守る一方、男性は会社で働くものとされてきた風習が根強い。

そのため男性の場合、いざ会社を辞めてしまうと繋がりもなくなり、居場所もないのだろう。また、今までは朝から晩まで会社で働きづめであり、土日も会社の付き合いや接待に明け暮れていたのだとしたら、会社を辞めた場合に繋がりは無くなってしまう。

いざ、旧友に連絡を取ろうとしても、疎遠になっていて今更感が出てしまうのかもしれない。また、プライドが邪魔したり、相手の事情を考えて連絡しづらい可能性もある。

とはいえ、新しい繋がりを見つけるのも億劫になってしまい、特にこれといった趣味もなければどのままふさぎこんでしまい、孤独を増長させてしまうのだろう。

定年退職後に突然ボケ始める男性がいるとも聞くが、きっとそういう人なのだろう。仕事や会社に全てをかけて生きてきたから、いざ退職してしまうとどうして良いのかわからないのだろう。

会社員時代、自分の意思を殺してしまった人は悩む

特に、会社員時代、言われたことを真面目にそつなくこなしてきた人の場合、自分の意思というものがあまりない。あったはずなのだが、自分の気持ちや意思というものを殺してしまった可能性もある。

自分の意思を伝えたところで上司に一蹴されるような日々を40年近く味わってきたのであれば無理もない。ただただ従う方が行きやすい。諦めるしかなかったのだろう。

そして晴れて定年退職となり、自由になれたはずなのだが、いざ「あれしろ、これしろ」と指事してくる人がいなくなると、何して良いのか悩んでしまう。

「あれ?俺って何がしたかったんだっけ・・・どんなことが好きだったんだっけ・・・」というようになってしまうのだ。

自分=会社に結びつけてきた人にとっては、アイデンティティを奪われたようなものなのだから、「これからどうして良いのか」と焦ってしまうことだろう。

会社命の役職おじさんは「老害」になりやすい

ましてや、会社に全てを捧げて趣味もなく、家庭を顧みず、会社では程度の地位について社内で認められていた人は、なかなか現実を受け入れ難いと思われる。会社や肩書きがない今、ただのおじさんに成り果てるのだ。

そういう人は、迷走かつ暴走してしまうといわゆる「老害」になりやすい。家庭を顧みなかったのだから、家族にも見向きもされない。会社の後ろ盾もないし、肩書きもない。自分を認めてくれる存在がいないと、不安で仕方がない。

あらゆる人に難癖をつけてかみついたり、自分の権力を誇示して認めてほしいといきりはじめてしまう。今までは「偉い人」とされて崇め奉られていた人でも、ただのおじさんになるというその現実を受け入れられないのだ。

「俺のいうことが聞けんのか!」と怒りまくり、悪質クレーマになることさえある。いやいや、あなた誰ですかと。


 

定年退職し、暇を持て余す「終わった人」

最近、舘ひろしさん主演で「終わった人」という映画が話題になっているが、これもまた定年後の男性の話である。原作は内館牧子さんの本で、これもまた「終わった人」というタイトルだ。

仕事一筋だった男性が定年退職し、「やることがない・・・」と翌日から時間を持て余し、妻に愚痴をこぼすが煙たがられ、カルチャースクールをのぞくも老人だらけ、再就職を試みるが高学歴・高経歴であるがゆえに断られ、娘にも呆れられて「恋でもしたら?」と言われる始末。

そんな中で趣味を探したりジムに通ってみたり恋してみたりと模索しながら、定年退職した男性がいろいろな騒動に巻き込まれながら成長(?)する話である。


終わった人 (講談社文庫)

この本が売れ、映画化する背景を考えても、「自分もいずれこうなるかもしれない」という不安がある定年間際の男性や、依存されている妻に「そうそう、うちもなのよ」というような共感を受けて売れているのかもしれない。

しかし、孤独というのはそんなに悪いものだろうか。確かに友達はいた方が良いし、繋がりはあった方が楽しいだろう。

データとして、「友達も繋がりもない高齢者は健康に悪影響があり、幸福度も下がりやすい」という傾向が出ているが、皆がそうではない。

私の考えではあるが、きっと定年退職後に「やることがない・・・」と迷走してしまう人は「1人を楽しむスキル」がないせいだと思うのだ。

私の父は、友達もいなければ繋がりもない

私の父親にも友達がいない。同僚や仕事の付き合いはあっても友達はいないし、付き合いたいとは思わないらしい。仕事が終わるとどこにも寄らず、速攻で帰ってくる。

母に聞いてみれば、昔からそうだったと。同窓会もいつも面倒臭いと言って欠席だ。親戚付き合いも苦手である。参加するイベントといえば、自分の生徒から呼ばれた結婚式くらいである。

ただし、父はいつも楽しそうだ。寂しそうにしているのを見たことがない。数学者なのでずっと1人で部屋にこもり、計算し続けたりしている。高校教師を定年で辞め、大学講師一本にしてからこの傾向は顕著だ。

元々1人でいることが好きで、1人で完結する趣味を持っている人は、友達がいなくても何てことないのだろう。父の場合は仕事でさえもほぼ1人で完結してしまうので、ことさらこの傾向が出る。

少しくらい誰かに連絡してみては?とも思うのだが、年賀状でやりとりしているくらいである。もうこれも何十年もそうだ。

「携帯電話は絶対に持たない。」と言っていた父だが、車が壊れて立ち往生したことがきっかけで、ディーラーに電話するためだけに数年前に携帯電話を買った。

しかしそれはガラケーだ。電話帳には、家と母と私と車屋さんの電話番号しか入れていない。仕事関係の人には「持っていない」と言い張っている。

そんな父なのだからLINEやFacebook、Twitterなんてやるわけがない。携帯ではメールさえもできないし、する気もない。もちろん、新しい繋がりを作る気はないだろう。60過ぎまでこうやって生きてきたのだから今更変えるつもりもないと思える。

1人で完結する趣味がある人は、孤独を武器にできる

ある意味、人と関わらずにできる好きなことや趣味がある人は、最強なんだと父を見て思う。たまに揶揄されているが、あそこまで行くと我が父ながらあっぱれとも感じる。

結局、自己完結する趣味がある人は、「やることがない・・・」と暇を持て余すことはない。きっと毎日やりたいことがあるのだからボケにくいだろうし、寂しさも感じないはずだ。

人と約束して何かする趣味でもないので、淡々と自分のペースで進められる。むしろ父は定年後の方がストレスからは解放され、生き生きとしている。

なお、私の母親の場合、友達はそれなりに多いし、付き合いも良い方だ。だが、1人でいるのも好きで、1人で完結する趣味を楽しんでいる。

母は習字を趣味にし続け、いつの間にか師範代になっていた。人に気を使わず、自分の世界で黙々と進められるので自分に合っているのだろう。これも孤独を武器にできている例だ。

父も母も、特にさみしいと思うことはないとか。私も比較的その傾向が強い。一緒にいても、比較的それぞれが勝手に違うことをしていることが多いし、どこかに食べに言っても、それぞれが好きなものを頼み食べることが多い。

我々のような家族だからこそお互い依存し合わず、バランス良く成り立っているのかもしれない。1人で完結する趣味があれば、定年後の余生に怯えることもなく、生き生きと楽しむことができるのだ。


 

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アニータ江口
広告制作・記事執筆し、反応率を45.5倍にした人。趣味は街歩き食べ歩き。特技は屁理屈。好きなものは地歴・動物・昭和レトロ。2018年5月、旧ブログから当サイトに引っ越し。うまいもの食べてうまいこと言いたい。